はなすこと

今年に入ってから月一で古典を…と書きましたが、その先生が少し前に仰ったことに、
「誰かについて、ないし問題の理解をと思うなら、最低でも二時間位は話を聞く…日頃表となっている地点掘り下げて核の部分を捉えることが必要だと思う(要約)」と。
(※中世日本の古典書籍の講座です。)

そうだなあと思います。それは言葉を引き受ける気持ちを持つことなんだろうなと。

でもその気持ちを知って我が身に据えるには、お山へ行くとか、人生の裏道通ったりするなどして他の人よりも遠回りしてはじめてはっとしたのでお恥ずかしいのですが。
昨年は厄年だったからか、迷走もしましたしね(爆)。

GK映画公開のあとに一度は家を離れて個人として話す、というお仲間の場に寄せて頂いて。ライフステージも年齢も幅があったんですけど、だからこそいろんなお話が聞かせて頂けて---断片的でも、色々話して下さることが嬉しかったです。

先生の話にもあったから、今年後半にはこんな場面があと何回かくらいは増えればいいな。
今の段階から12月の本に必要そうな本を手配したり、予定を抑えたりする作業が必要になってると把握しつつありますけれど、逆にそういう過程とことばが行き交った後には、どんなかたちとして顕れるのかなとワクワクもします。

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