「どの地獄を進むか、あきらめるか」
再びこの言葉が先週飛び出した虎に翼を、今年はかじりついてみてます。
辿り着こうと必死に想いを向けて歩けども、何処を歩いているのだろう。
渦中にいて足を取られていると、つい流されていくような心地にもなったり、無力を感じることもあるのかもしれません。
けれど地獄の先に春を見る、百年先の貴方にまた…というテーマ曲の歌詞の気持ちで制作進行中です。
これはそんな気持ちになるな~と思いながらめっちゃ急ぎ足で歩いた大湊港と坂。
控えめに撮って退散しようかと思った所で、波止場で休憩中のタクシー運転手さんが「もっと近寄っていいよ!よく見えるよ!」とお声がけ下さったおかげで撮れました。
実は恐山でも地元のおばあさんからは昭和時分のお話を、北洋館さんへのタクシーでも公的記録に乗ってないお話をうかがったりしました。
さらっとお話下さる様子はおだやかな潮風のようで、内容はどれも個人の日記を語り聞かせて頂けたのかな?と思うような人とあったかい温度感でですね。。
わざわざ取り壊しされた建物の位置を確認して下さったタクシー会社さんの運転手さんの笑顔と一緒に思い浮かびます。
百年先の誰かに繋がってほしいようなあたたかさと向き合えるのが、ソロ旅行だな…としみじみ噛み締めた次第です。
(※そして北洋館さんにかじりついてしまったが故に他の施設に回れず、何故か〆にカモシカに遭遇するという珍事が起きたのもまあほんと旅情です……爆)
地図を見てみますと、最後の写真の鳥居側の道を進んでいくと、大湊要港第一区境域標が在り、その近辺から商店が沢山軒を連ねていた模様。
クリーニング店さんや呉服屋さんが多いのを見ますと、やはり服装を調えることを大切にしていたであろう営みが見えてくるよう。お菓子屋さん、荒物屋さん、雑貨店なども駅まで(※大湊線の全線開業は1921年)の区域+坂道近くに在り、そのうちには海軍御用達の艀業兼旅館が(※1)。
次の機会があるならばこの道海岸沿いの道を駅まで歩けたらいいなと思いつつ。
(取り敢えずわたしの代りにいつぞやの学者のU作先生と別行動してる尾兄ちゃんがてくてく歩いてくれてます。)
(※1)大日本職業別明細図東京交通社 昭12
hydronym
unofficial fan art for GOLDEN KAMUY+ historical essay or archives.
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