永くて大きなー本の拾遺録ー

此処を開設して間もないので、取り組んでること・考えていることをご紹介する目的も兼ねて、2023年DR発刊の12月本「はちすばの蝶」の拾遺録カテゴリーを書いてみる事に致します。

当方は一応歴史系の学問を通りつつ、気長にBLを愛でてきた経験から、二次創作物であっても「貴重なお金で本を御手元にお迎え頂く」ことに変わりないと思っております。これは現行のAIの発展や、或いはSNS上での読み物・絵を一瞬で消費することとは、反対方向へ顔を向けて取り組みたい営みです。

じゃあその考えを実行する為にどうしたいか…と思った時、ある程度物語として楽しめる厚みや、史料・資料を参考にしながら、各所に迷惑にならないように適宜ぼやかして(重要)出来る限りの誠意を込めて創りたい。この一冊がいつどなた様の手に渡るか想像もつかないし、渡った先で何の縁をつくるかもわからないのだから。

……というあるので、史料・資料を集めちゃうというやつなんですがーーまあ、近代に弱いのなんのwww(爆)

元々文字になってない大昔のまじないの習俗を想像してただけの先史専攻民が一行書いては諸々の不足にぶち当たるもんですから、ひいひい言っております。「あれ?このタイミングの○○って、もう普及してたっけ?え?あっちの村では使ってたっていったよね?」などといった塩梅であります。
ご関係者様各位には、どうぞお手柔らかにお願いしたく……m(__)m


まあそんなこんなで、前置きが長くなりました。
…まずは「硫黄の製錬所跡」の話から。

実際に明治期に採掘した際の製錬施設が戦後すぐの地形調査図に落ちてます。現状残っていたかどうか、昨年7月に自分で恐山へ伺った際の記録には残ってなくって若干泣いたんですが(そもそもあの時はまだこのテーマで書くことを決意してなかったものですから…)、1927年の地質学の先生の報告書に載ってます。
>>https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/05-03_04.pdf
ただこれ以外だと、具体的な施設設備、位置情報が把握できる資料/史料は見当たらなかったというのが現状です。当時の開発企業の社史が非公開だったり、大湊要港部の許可が下りなくて記録が出来ない(と書いてる報告も別途ありました)したことを皮切りに、とにかくなかったです。


けど現代の一参拝者として撮った記録でも…と。

以下は寺院境内を包むようにそびえている地蔵山と鶏頭山の麓にひろがる沢の岩場と、流れの風景です。硫黄の黄色と安山岩・火成砕屑岩の灰白色のコントラストが宇曾利山湖の岸辺へと連なっている様を初めて見た…というよりもその場に独り立ったとき、ひとことにはしなくてよい、永くて大きなものが在るのだと感じたのでした。

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